Foto © Koji Fujii
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松栄山仙行寺

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Sede
東京都豊島区, Japan
Anno
2018

来迎する「山」
「その石は踏んじゃだめだよ。お墓かもしれないからね。」
小ぶりな西瓜ぐらいの丸石の上を歩こうとしたら、今はもう亡くなった祖母にそう注意された。母方の代々の墓地は山の中にあって、濃く茂った木々の緑の中に、墓石なのか自然石なのか分からないような有様で、それは自然と混ざり合ってしまっていた。

南池袋という東京の最都心部で、納骨堂を含んだお寺の設計を依頼された際に思い起こした、たぶん小学生低学年時分の記憶である。 敷地はその記憶の中の墓地とは正反対に、人が作り出した都市環境の只中にあるが、建て替えの対象となった古い木造入母屋屋根の本堂と、その小さな境内にあった桜の老木は、人為に占拠された世界にあって、地域の人々にとっては、ほっと息をつける生命の一隅とでもいうような場所であったようだ。施主である住職親子は地域の人々が心豊かに暮らしていくことへの公共的な責任意識を持たれていて、地域のそういった日常の中での精神的な拠り所としてあり続けることを求められていた。

プログラムは以前からあった寺(本堂)に加えて機械式納骨施設を含んだ、いわば寺と墓地の立体的な積層体であり、大きなボリュームとなることは避けられない。そこで思い至ったのは「山寺」という考え方である。比叡山延暦寺、身延山久遠寺など、いつも寺は山をその名に戴いている。山そのものが信仰の対象でもあるかのように、風景としても寺の背後には常に山が控えていて、それらは対をなしている。立体的な寺/墓地は大ボリュームとなって都市景観中に現れるのだから、むしろその大きさを生かし緑の山塊として、「寺のような、山のような」存在としてしまおうと考えたのである。

建築は一層を地域開放の大仏殿、2〜6層を参拝施設、7階は法要を行う本堂とし、それらのRC構造体の上部に、軽やかな鉄骨造の書院を乗せた構成である。2〜7層の各スラブのテラス部に土入を施し、そこに主として関東の潜在植生の木々を植樹した後、それをカバーするようにして、銅管でできた簾状のスキンを7階パラペットから吊り下ろした。重力なりに懸垂曲線を描く銅の簾は、離れて通りから見れば視線を透過して、背後の樹々だけが緑の山塊となって都市に現れ、逆に近づいて見上げれば、伝統的な社寺建築の銅板葺きの反り屋根のようにイメージを転じ、新たに「山」に植えられた桜と共に、かつての本堂の記憶と接続している。更に、正面から山門を抜け、次第に高く反り上がっていく垂木と空間という構成もまた、以前の本堂から引き継いだものだ。

その暗い最奥部には木彫りの大仏が据えられているが、それは雲の上に乗り、地についていない。これは遠く浄土の世界から雲に乗って「来迎」したことを示しているそうだ。来迎によって人界にまで浄土が延長されてくるのだろう。私たちが今回行いたかったこともそれに近い。かつて祖母に連れられて行った、いずれ還っていく自然としての「山」を都市に「来迎」させることを願ったのだ。それは当然「山」そのものではないけれど、大仏という徴(しるし)と同様に、都市に山をつなげ、人々にそうした人間存在の有り方を思い出させる。こうした都市の風景を作り出すことに、新しい都市型の寺/墓地の公共性の意味を重ねたのである。

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